今日の朝は大変だった…。
アスペルガーの次男。こだわりが強すぎる。
今朝はお気に入りのマスクがなかった。
いつもどこにでも脱ぎ捨てていく、だらしない性格。そこに、しかも、こだわりがかぶさる。
マスクはこだわりのものがあって、そのマスクしかしない。
だけど、たまたま、洗濯中で汚れてる、濡れてるものしか、なかった。仕方なく、事情を説明して、紙マスクをもたせた。
汚れた時に、蒸れて使いにくいこともあるだろうと、予備も持たせて。
だけどだけど、いやいや!が爆発。
いや~~~ってめっちゃ泣きました。パパがあまりの声に起きてきて、紙マスクでいきなさいと諭すと、仕方なく玄関に向かったけど、向かったけど、
近所の交差点で、旗当番できていたお母さんに、「マスクがいつものものと違って、もう、学校に行きたくない」と訴え。
道のど真ん中で、いやいやを爆発させ、泣きじゃくり。
たまたま、通りかかった、ママ友が電話くれて、次男くんが、泣いて学校にいけないってるけど…と。
ええええ、すぐ行きます!と言ったけど、いってみたものの、マスクがないものはない。次男のところに行って、その紙マスクで過ごしなさいと言ったけど、だったら、もう学校にはいかないと泣きじゃくるので、「もう、そこで待ってなさい!」といって、家に帰って、洗濯中のマスクを持っていきました。
だけど、もう、遅刻、ギリギリ。
しょうがないので、学校まで送りました。
疲れた。
疲労困憊です。
結局、涙が止まらず、学校にいったものの、教室に入るのはだいぶ時間がたってから…。
先生から、放課後お電話いただいて、お話ききました。
担任の先生は、気持ち切り替えられない生徒さんのために、朝早くからスタンバイして待ってます!いつでも、迎えに行きますから!すぐ、電話なりしてください。僕がいけば、学校みたいな気持ちになって、意外と気持ち切り替えられたり、するんです。頼ってください!と熱く語られました。
すごいな…小1の先生って…。すごいな。
診療やめなきゃよかったかな…
リエゾンみて思ったんです。
診療科の先生が、改善する方法はあります!みたいに大声で言ってましたよね?
実は、うちではこないだのWISCの検査を最後に、診療をやめました。
IQが130以上で、多動の傾向もなく、つまりASD…。困りごとはあっても、本人が困っていない状態でした。これから、もしかして、人付き合いが苦手など、意識していくのかもしれませんが、いまのところ、本人にその生きづらさは感じていないようです。小1ですもんね。そんなに、なんもないです。
診療中は、ただ、育てにくさ、つまり、母親の私とは感性の違いから、伝わらない。良くわからないの連発を相談するだけの、育児相談のようになっていました。
そして、パパもたぶん、ASD。息子の付き添いでパパが診療に行った時、先生は「もしかして、パパも同じASDでは?」と思ったそうです。
はっきり、言わなかったけど、「お父さんとそっくりですよね!」「困ったこと、分からないことがあったら、お父さんにきくといいですよね!」とそうおっしゃってました。
そうなんです、パパは次男のこと、すごく理解してる。
先生も、パパという成功体験があるんだから、安心ですよね。
育児で困っても相談できる人がいますねと…。
そうなるともう、診療がただの育児相談になっていましたので、診療は私次第で終了ということになります。
私の育児相談を小児科でするべきではないかな…そう判断して、また、困りごとがあれば、予約をいれさせていただきます。とりあえず、一旦終了で結構です。そう言いました。
でも、気になったんです、ドラマみて。
だって、改善することができるって。
診療がなくても、改善する方法を家庭内でどうしたらいいの?
どうしたら、改善できるの?
ていうか、どこを改善したらいいの?
モヤモヤしました。
ASDはそのまま受け取る
リエゾンっていうドラマでも、そんなシーンがありました。
子どもが上手に描いた絵を絶対にママにみせようとしない。みようとしたら、癇癪を起すくらい拒絶する。でも、他人にはみせる。どうしてなの?しかも、離婚した夫のところにわざわざ、絵を見せにいってるくせに、私にはみせてくれないとママは悩んでいました。
「上手にかけたら、みせてね」といったことがきっかけでした。
上手にかけるまで、みせようとしなかった。
うちでも、絵ではないけど、同じようなことがありました。つい最近。
「小1になったから、自分で学校の用意はしなくちゃいけないんだよ」といったんです。ランドセルに授業の用意などを準備するのは当たり前ですよね?
ところが、その日から、時間割の紙や持ってくるものなどのプリントを絶対に見せてくれなくなりました。
自分でするから、絶対にみてほしくないということらしいです。私がみてしまったら、それは自分が用意したことにならない。自分が用意するから、下手な手出しはしないでくれ。そのようなことを涙ながらに訴えます。プリントをみようとしたら、引きちぎる勢いでうばっていきます。
そこまですること?
学校では親用と2枚くれています。先生はそういうことがあることをご存じなのでしょうか?同じ時間割を次男用と私用にいつも2枚、次男に渡してくれています。
次男は「ママ用のプリントがあるんだから、ママはそれをみて」と言ってきます。いいじゃん、机にあるんだから、忘れ物がないかちょっと確認するだけ、宿題のサインもしなくちゃいけないでしょ?というものの、とにかく、「これはダメ」「ママ用のプリントをみて」「僕が用意しなくちゃいけないってママがいったじゃん!」
小1なんで、親が丸付けしたり、親のサインが必要だったり、朝の検温表だって親のサインが必要です。それらのことは関係なく、自分が用意しなくちゃいけないんだから!という概念が、私には面倒くさすぎて、面倒くさすぎて…。
余計なことを言ったかな、と反省、いや、反省もなにも、やることを伝えただけで、なんでこんな面倒なことになるの?と思ってしまいます。
ドラマではとっても優しいお母さんが子どもに「ごめんね」って「上手にかけてるよ」と言ってあげてました。
子どもにごめんねっていわなくちゃいけないの?
見せられずに、苦しんだから、上手に書けるまで、頑張ったから、その苦労にごめんねって言ったのかな?
私、無理だわ。そんな絵のことなら、ごめんね言うけどさ、毎日毎日、細かく、細かく、こんなことの連続なんだよ?ママが用意は自分でするんだよって言ったから、プリントみせないとか、ママが先にご飯食べなさいっていったから、どんなに時間がなくてもどんな状況でもご飯は先だとか、もう、数えきれないくらい、自分の言動のせいがいっぱいあって、私自身が一つ一つ反省してごめんねって真剣にいってたら、辛すぎる。
もう、何も言わない!っておもってしまうくらい。
でも、そういうわけにもいかないもんね…。ドラマはさ、絵のことで、しかも、その絵がプロなの?っていうくらい上手でさ。その子の個性を否定する言葉として、でてきていたけど、違うんだよ、日常は。
たいだい、アスペルガーの子なんて、記憶力が異常によくてさ、その絶対忘れない記憶力で、めっちゃくちゃ攻めてくるんだよ。この日にママは「〇〇しなさい」って言ったとか、この日にママは「〇〇が好き」って言ってたとか、この日にママはお兄ちゃんだけを褒めてたとか、この日にママはこのことを間違えてたとか。
間違える日だってあるし、よくがんばったお兄ちゃんを褒める日だってあるんだよ。
次男とは感覚がズレているところがあって、どうしても、話がすすまないし。
今週は親子読書週間だったんですよ。読書をして、心に残ったシーンを書き留めて置いたり、それについて、親がコメントしたりするイベントがあったんですよ。
次男は図鑑は好きだけど、お話を読むのが嫌い。
人があれして、これして、これこれをしたことを読んでも、その流れを知るだけ。感動しないんだって。
私は「でもさ、色んな人の行動を読んだり、感情も書いてあるし、こんなこともあるんだ?って世界が広がるかもしれないよ、ママは読書するの好きだけど」って言ったんですよ。
「あのさ、世界よりも、僕は宇宙の方が広がってると思う!」と言ってきました。
そりゃあ、宇宙はひろがってるでしょうよ。
でも、ちがうよね?物理的に広がってる話してないよね?
その話をきいて、パパも、次男に「わかるわ~、お話って登場人物覚えたり、人が何したからって、自分に関係ないしね。僕もお話読むの、苦手だわ~」って言ったので、
あ~~~~~、そうですか。と、この話は終わりにしました。
それが、何日か経って、突然、次男はブラックホールの話をしてきました。
「ブラックホールってさ、その先は無なのかな?」
「ブラックホールにもし人が入ったら、死んじゃうよね?無に入るのかな?体はなくなっちゃうのかな?」
「ねぇ、もし、ブラックホールの先が無だったら、世界の終わりはブラックホールなのかな?」
話を聞くと、どうやら、私が読書について「世界がひろがる」って言ったから、私が安易にそう言ったから!、世界の終わりとか、世界の果てについて、考えて、読書しないで、宇宙の図鑑を見て、世界の行き止まりについて、考えてたらしいですよ!!!!
これはさ、ドラマのお母さんだったら、「ごめんね」っていうの?
悩ませて、ごめんねって。
読書週間なのに、読書できない原因つくちゃって、ごめんねって、そういう事案?
こういうことはドラマには描かれないですよね。でも、現実はこっち!
まじで、親の言動を気を付けるとか、いい子だよって安心させるとか、そんなことばかりじゃないんだよ…。
この状況、ドラマのお母さんなら、「ごめんね」っていうのか、教えてほしい。